あの大きな地震から今日で1年です。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、未だ不自由な生活を余儀なくされている地域の方々の日常が1日も早く戻ってきますように心からエールを送ります。
生まれて初めて命の危険を感じた揺れ。
一夜明けてからの混乱と被害の全容。余震。
前震の日は子どもたちが寝付いた直後。両脇に寝ていた息子1号と2号を守り、隣の部屋に寝ていた娘の名前を叫ぶ。このとき相方は自宅から1時間離れた会社にいました。高速が止まっているから下道で帰ると。かかる時間は高速の倍。道がどうなってるか想像もつかないから帰って来なくていいよと言ったけど、何時間もかけて帰ってきてくれました。やっぱりホッとしました。
被害のおおきい県北の実家に電話がつながらない!LINEならイケるとの情報をもらい実家に住む弟に連絡。安否を確認。
ほとんど眠れないまま朝を迎え、何回も来る余震に眠れない日々が続きました。
こちら県南は大きく揺れたものの被害はほとんどなく、翌日から通常通りに学校も幼稚園もありました。時々余震があり、高速道路が寸断していたためにスーパーで物資不足になりましたが生活はできていました。
避難所や車中泊を続ける人々の様子をテレビで観るたびに、申し訳ない気持ちが募り無意識に泣く日がありました。
車で1時間走ると景色が違いました。
ブルーシートの屋根、傾いた家、崩れた家、波打つ道路、落ちた橋、そして熊本城…
新婚当時住んでいたアパートには赤い紙が貼られていました。相方と呆然としました。
1年で復興したようにも見えるかもしれません。
でもまだまだなんです。
もっといろんな支援が必要です。
お金?マンパワー?なに?なにが必要?なにができる?
私に何ができるか考え次の1年に向かって行動しようと思います。